AnDeriensのブログ

個人的なブログです

あなたにはポテンシャルがある ー colored oilとMen in Black

数年前に購入した写真。藤崎了一〈colored oil〉。

KANA KAWANISHI GALLERY | Ryoichi Fujisaki

https://x.com/anderiens/status/1312208512752123904?s=46&t=0Wpi_ucrWNqXNla0a0tIpQ

この写真、なんとなくNASAが公開している宇宙写真を思わせる。惑星のような球体が、互いの重力の影響を受けながら、自らの位置を保っているようだ。次の瞬間、もしくはいくらか時間が経った後では球体はぶつかって混ざり合ってしまっているかもしれない。

宇宙の広がりは無限のように感じられるが、わたしたちが感知できる宇宙は「宇宙の誕生から今までの間に光が走ることのできる距離」の範囲に限られている。その先にも宇宙は存在しうるが、その先がどうなってるのかを知ることはできない。 ここに想像力の余地がある。わたしたちが知ることのできる範囲の外がどうなっているのか。そうした想像力を働かせていたのが『メン・イン・ブラック』という映画だった。この映画のエンディングシーンでは、主人公のJがいる場所から次第にフェードアウトし、太陽系、銀河系を超えて宇宙の外にまで出ていく。外から見る、宇宙は一つのビー玉のように扱われていて、謎の生物が複数のビー玉を袋に集めている。

冒頭の写真作品は作家自身の身近なものをマクロ撮影することで制作されている。これは『メン・イン・ブラック』とは逆向きの想像力だ。感知可能な限界の先を想像するのとは逆に、わたしたちがふだん感知できないほど小さな領域からイメージを取り出してくるのだ。 そして、面白いことに、そうしたミクロな世界のイメージは、宇宙のマクロなイメージと似たイメージになる。ここでこの相似形に力学的な説明を与えることもできるだろうが、そんな必要はない。重要なのは、異なるスケールの相似したイメージ=世界に潜むフラクタルのイメージが発見されるということだ。フェードアウトで宇宙が手に取れるビー玉になった『メン・イン・ブラック』に対して、フェードインの結果手に取れる物質の中に宇宙を見つける。

ベルクソンが『物質と記憶』で過去と記憶を並べたように、宇宙の広がりと物質の内的広がりに対して、人間の記憶や内在性を並置したくなる。 わたしたちは他者の奥行きを感知しきることはできない。にもかかわらず、多くの場合、ものごとを判断するときは、自分が感知しうる範囲で自分のものさしで判断してしまう。相手にはあなたが知ることのできないほどの過去があるのに、あなたはあなたが見た範囲で相手のことを判断し見限ってしまうことがあるのだ。

他者にはあなたとの関係性のなかでは絶対に計り知れない奥行きが内在している。〈colored oil〉くらいその奥行きをズームアップしてみれば、そこに宇宙ほどの広がりがあることがわかるはずだ。わたしたちはそれを「ポテンシャル」と呼ぶことができる。ポテンシャルとは内在的な差違なのだ。

この写真を見るたび、他者には自分自身には感知しきれない無限のポテンシャルがあることを思い出させられる。それを認識すると、他者を本当の意味で受け入れられる気がするのだ。