AnDeriensのブログ

個人的なブログです

堕文論

わたしはなぜ文章を書くのか。

ときどきこのブログになんの役に立つのか分からないような文章を書き残している。

明確に誰かに向けた文章ではない。誰かに理解してもらうための文章でもない。ただ、自分から湧いて出た言葉が時間の流れの中で無為になってしまうことを避けて、誰かの元へと流れ着いたらいいという気持ちで、書いている。ただ考えるだけでは存在しないのと同じだ。書いて表に出すことで、誰かが読み理解する可能性が残り、少しではあるが存在性が増す。 いつか読むかもしれない誰かに向けて、漠然とした他者に向けて、文章を書く。

文章を書くときは、何か鬱屈とした気持ちを抱えていることが多い。そして、その時が一番、自分が人間的であると感じられる時だ。

「堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない」と坂口安吾は書いた。人間が堕ちないときというのは、国や政治によって決められた輪郭に自らを当てはめているときで、その輪郭を外れた時に真に人間であることに向き合える。

社会が求める枠から外れられている間、自分が人間的でいられる間、その証を残そう。そうして残った文章は堕文と呼べるだろう。