AnDeriensのブログ

個人的なブログです

日記20230101

あけましておめでとうございます。

昔は31536000秒に一度やってくるこの瞬間を逃すまいと、何人かと挨拶のメールを送りあうなどしていたが、今は誰かに送ることも誰かから届くこともなくなってしまった。朝にでも送ればいいし、会った時にでも挨拶できれば十分だという、大人の余裕なのかなんなのかよくわからない気持ちでいると同時に、少しばかりの寂しさも感じる。少なからず、それくらい人との関係が遠ざかっているということを示しているからだ。

自分は特別他人と関わりを持とうとするような人間ではないことを知っているので、この疎遠さが人生のどこかの段階で根本的に変わるようなことがあるとは考えにくい。となるとおそらく、残りの人生の50年だか60年だかも引き続き今くらいの疎遠さか、あるいはもっと疎遠な状態で生きていくことになるだろう。なんかそれは寂しい。

大事なのは疎遠でない関係が存在することなのか。おそらく答えはNoで、重要なのは、自分の理解者だと思えるような人が1人でも存在していることなのではないか。

では、自分の理解してもらいたい部分とはどこなのか。それは言葉にできることなのか、あるいは違うのか。 人はけっきょく、他人の表面的な部分しか見えない。その意味でぼくはぼくなりの表現を続けていくことで、ぼくの本質のようなものを表面に浮かび上がらせることでしか、ぼくを理解してもらってると実感する契機は訪れないような気がする。

この本質の表現を、今年のテーマにでもしてみようと思う。元旦の淡い決意。