AnDeriensのブログ

個人的なブログです

イメージと欠落 – Bloom Studio ZOOM Party vol.4 に参加して

先日、安田早苗さん主催のBloomStudio Zoom party vol.4というイベントに参加してきました。 そのイベントに参加した報告・感想を書いていきます。

Bloom studioは安田早苗さんがこれまでの種をまくプロジェクト、芽が出るプロジェクトに引き続き催されているプロジェクトです。 オンラインで実施できるイベントを行い、これまでは安田さん自身の映像の上映やその他アーティストの紹介などをされてきているそうです。 vol.3にはゲストとして愛知トリエンナーレ2019の芸術監督を務めた津田大介氏をゲストとして迎えているようですね。過去のイベントの様子は、Youtubeでも公開されています。

ぼくは今回のvol.4が初参加で、vol.4は二人の作家さん(星田大輔、斎藤英理)を紹介をするという趣旨でした。

Bloom studioの過去の動画リスト

Bloom studio - YouTube

Youtubeチャンネル

www.youtube.com

Peatixのイベントページ

https://peatix.com/event/1694847

当日の様子

Youtube動画ページが開きます。

https://youtu.be/4F4ZNEqUO78

また、安田さんに関しては以前もこのブログで、過去のプロジェクトの記録を紹介しています。

blog.anderiens.com

全体の流れ

まず星田大輔さん、斎藤英理さんの順で紹介があり、その後アライ=ヒロユキ氏のコメント、その後参加者全員で自由に話すという流れでした。

isegoria.arts-am.com

作家の話について

星田大輔

まずは、星田大輔さんからご自身のこれまでの作品の紹介がありました。 星田さんは、照明器具を使って月を照らし出す作品で有名のようで、群馬県で行われた中之条ビエンナーレ等でも作品を出されています。サイトにこれまでの作品もまとめられています。

daisukehoshida.com

以前は映像作品をよく作り、映像とは何かを考えていった末に、現在は照明の歴史や近年の蛍光灯からLEDへの移行等を踏まえつつ照明にスポットを当てた作品を制作されているとのこと。

星田さんの映像への取り組み方は、ジャコメッティ的だと感じました。本質を求めて余計なものを捨象していく…。そうした実存への迫り方をもって映像の本質を探究していくと、ストーリー性や「意味」を排除し極小化していく方向に向かい、「スクリーンにほぼ静止した映像を映し出す」ことにいきつき、もはや照明と区別がつかなくなっていくのかなと。 この映像と照明の境界は、「不可識別ゾーン」とでも呼べるような、ぼくらの思考や意味を混濁させるおもしろい領域だなと思います。映像は「像」すなわちイメージであるのに対し、照明はあくまで光であってそれ自体意味を持つものではない。とはいえ、両方とも視覚的な知覚を発生させる客体的な対象でもある。この点に行きついているところが星田さんのおもしろポイントだなと思いました。

こういった差異/類似性から連想したのは、(イベント中にも話題に出した)ルクレティウスのシミュラクルです。ルクレティウスは、エピクロスの原子論を『物の本質について』という本の中で、「ものの像の粒子(シミュラクル)が空気中を飛び交う」という世界観を描き出しました。原子が目にも止まらない速さで空気中を飛び交っているのと同じように、シミュラクルも十分に速く空気中を飛び交っている。 現代(というかおそらくニュートン以降の近代科学のパラダイム)においては、空気中を高速で伝播するのは光だと思われていますが、ルクレティウスは像そのものが伝播すると考えていた。 ここにも映像/照明、より一般的に言うなら像/光の差異/類似性が現れているんじゃないかなと思います。

たしかセザンヌルクレティウスのシミュラクル論はどこかで参照していたし(どこかわかったら追記したい)、そのあたりの絵画との対比も何か言えそうかなとぼんやり思っています。そういえば、また別の視点にはなってしまうけど、『感覚の論理学』でも光学的と触覚的が対比されていた気がする。

とまあ、いろいろつながりそうなテーマではあるし、今後また作品見たいなと思いました。

斎藤英理

さて、次に、斎藤英理さんの作品紹介がありました。

www.erisaito.info

初期の頃からぼやっとして何が描かれているかわからないようなイメージを描くことが多く、最近作る映像作品でも「欠落」を含む映像を作ることが多いとのこと。 映像としてコマが欠落したようなブラックバースト(って表現で合ってるのかな?)を含む映像や、迷子になって家にたどり着けない中学生をテーマにした映像、首のない仏像の映像などなど。

卒業制作で強迫観念の確認行為に着目した作品を作るなど、斎藤さんの関心はわりと心理的な効果にあるんだなという印象を持ちました。

なんとなく欠落と聞いて思い浮かぶのは、「見たくないものは見ない」みたいなことでした。 たしかにひとは見たくないものに蓋をしようとする傾向がありますよね(否認)。そしてその代わりに別のイメージを自分で生み出すことで自分の心を守ろうとする。これをなんの客体的な保証もなくおこなうことが、いわゆる妄想というものかと。 で、その際(本人にそういう意識はないにせよ)客観的に見ればその人の意識には欠落が発生しているといえる。

イベント中に話題にも出しましたが、同じように自分の見たいものを避けて別のイメージを作り出すのは、最近の画像加工アプリとかも同じですよね。ぼくとしては、加工後のイメージには本来のイメージを欠落しているんじゃないかと思ったのですが、それは欠落ではなく単に「変形」に入るそうです。 それは、おそらく認識(加工後のイメージ)において実在(本来のイメージ)が足りないということより、そもそもイメージに「足りない」ということ自体が含まれていることがキーになるのかもなと思っています。

連想していたのは、小津安二郎の空ショット、ベルクソン物質と記憶』における再認の失敗、『意味の論理学』で言われていたゲームを始めるための「空白のマス目」あたりですかね。「失敗を目指すことはできない」というパラドクスは、欠落そのものを表現することにも当てはまるのかなとか思ったりもしました。

とはいえ、たぶん斎藤さんの関心はもっと別の方向な気がしてるので、今後どういう作品が作られていくのか楽しみです。

意味の論理学〈上〉 (河出文庫)

意味の論理学〈上〉 (河出文庫)

意味の論理学 下

意味の論理学 下

ふりかえり

フリートークのときに、タイムリープ系の話やそれによる複数の世界線の移動が歴史修正主義のバックグラウンドになってる(?)みたいな話が出て、面白かったです。