AnDeriensのブログ

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自己の簡易的証明としてのニックネーム

ぼくらは名前を持っている。ぼくがぼくであることの簡易的証明として。

その証明を果たすために、名前には「姓」と「名」というツリー構造がある。「家」を元にして、姓に名が紐づく形で名前は存在する。 そうしたシステマティックな構造を背景にもつ名前は、その構造を意識する必要のない場では長々しく、日々のなかで反復して使うには相応しくないことがある。「ニックネーム」は、日常において繰り返し使うために存在する、ぼくがぼくであることの簡易的証明である。

証明の条件

何かが「証明」であるためには、二つの条件がある。一つは、証明が証明したいことをその内部で存立させていること。二つ目は、証明の表現形式が、その受け手にとって理解可能であり、証明したいことを再構成できること。

ただし、証明が「即座に」理解できる必要はない。したがって、証明の表現形式が、即自的である必要もない。「空白の升目」のように、無意味な形式的表現でも成立はする。

空白の升目が意味の中心となるには、反復される必要がある。反復されるためには、それ自体に欲望を喚起する何かが必要だ。

したがって、ニックネームが完全に無意味である場合、ぼくがぼくであることを表現できない可能性がある。