1. 暮らしを大事にする
たぶん、日々の暮らしを構成してるのって、別にそれを行うときにわざわざそれを行うことの意味を考えないような定型的な反復活動がベースにあると思うんですが、自分は基本的に、意味の感じられないことをするのがとても苦手なので。無意味に感じられることでも繰り返しルーティーンできるようにしたい。
YouTubeでナイトルーティンとかやってるように、ほとんどの場合みんな日常にルーティーンがすでに存在していてそのルーティーンを改善することで、暮らしを豊かにしている。けどぼくの場合、ルーティーンができたとしても、なんらかのきっかけですぐにそれが消滅しがち。 もちろん顔洗ったりとかはするんだけど、それがルーティーンとして実行されず、毎回意味を考えてモチベーションを自分に与えて行動している。何か別のより有意味な選択肢があるとその行動を中断したりしてしまう。
今年はこの癖ともうちょっとうまく付き合いたい。
2. 英会話できるようになる
今年こそは…!
3. 個人開発中のサービスをアルファ版リリースする
いまちょこちょこと開発中なので、ちゃんとやり切って本番稼働させたい。
4. モダニズム芸術論を理解して、自分なりの「良い芸術」についてのアイディアを整理する
発端は、マイケル・フリードの『没入と演劇性』で、「良い絵画」の特徴として「統一性」をあげた上で、それを達成する特徴として「没入」を、それに反する特徴として「演劇性」をあげていたのを目にしたことだ。
統一性をもつ芸術に魅力を感じることまでは理解できるし、たしかに観客を意識しすぎた絵画にはシラけてしまう。だから、フリードが提示する逆説、絵画が自らに没入していれば観者は絵画に入り込みやすくなるというのも分かる。 しかし、それと同時に、参加型の開かれた作品に魅力を感じることもある。たとえば、ムナーリのスタンプ作品や、大巻伸嗣のあいちトリエンナーレ2016でのEchoes Infinityの展示など。インスタレーションのように作品空間に観者が物理的に入り込むこともありうる。宮島達男のように、端的に表明されたコンセプトのコアを理解することでオブジェクトやインスタレーションの見方が変わるケースもある。こうした作家や作品が、フリード的な没入にそぐわないからといって、評価が下がるものではないはずだ。いずれも観者の作品への没入を促す効果はあるだろうが、それらを包括的に語るための理論はあるのだろうか。この問いに、答えられるようにしたい。
5. AtCoderで緑になる
去年始めて、茶色まであげられた。 今は少し休止中だけど、また再開してアルゴリズム力つける。