AnDeriensのブログ

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アフターコロナに向けて

コロナウイルス感染症流行の影響が、かなり広がってきている。

当初は、感染症そのものによる肺炎、その重篤化からの命の危険という、医学的なリスクが想定されていた。しかし、その実態が明らかになるにつれて、コロナへの対応が単純に健康上のリスクだけでなく、様々な自粛による社会・文化の死をもたらすリスクの方を考える必要性が増してきたように思える。

基本的に、現状での、日本の戦略は「ピークカット戦略」と呼ばれるものである。 これは、集団感染を防ぎ、同時に感染する人の数を抑えることで、現状の医療キャパシティでしのぎ切ろうとする戦略である。

agora-web.jp

これは一定の効果があるようにも思えるが、以下のように反論記事も出ており、その実際のところの評価は、まだまだこれから変わる可能性がある。

medium.com

事態は、現状ではまだまだ不確実だし、どう転ぶかはわからないが、最悪の場合、上記記事のように公共の場での活動を抑制され、様々な社会的活動ができない時期が長く続く可能性もある。

自宅待機が増えることで、オンライン上で人々が集まる機会も増えるだろうし、 小さな飲食店などが危機に追い込まれているという話もよく聞く。

これからは、上記の疫学的な戦略によっても大きく状況は変わりうるし、 もし対策が遅れ、他国よりも長期化するとなると、経済的な孤立も免れないかもしれない。

対応に数年スパンの期間が必要となると、社会・文化情勢は、コロナの影響を受けて大きく変わらざるを得ないだろう。

私たちは、まさに、パルマコン的な状況に置かれていると言える。社会の脱構築の真っ只中にいるのだ。

では、脱構築された後の社会はどうなるのだろうか。あるいは、どうなるべきなのだろうか。来るべき社会とは?

今こそ、真に批評が生きるべきなのではないかと思う。

アントナン・アルトーがペストを引き合いに出して残酷演劇を見出し演劇を進化させたように、現代の文化もまた進化するべきだろう。

演劇とその分身 (河出文庫)

演劇とその分身 (河出文庫)

私たちは、ウイルスと戦うことで死なないようにするのと同時に、人々とともに生きて続けなければならないのだ。

文化を殺すことなかれ。